【中編】「好きを仕事に」道を切り拓いてきた、これまでの歩み:がむしゃらに挑戦し続けたフリーランス時代

フリーランス

こんにちは!元フリーランス&パラレルワーカー、現IT系会社員のaiです。

これまで「まずはやってみよう」をモットーに、実績ゼロからフリーランスとして活動を開始し、体当たりでいろいろなことにチャレンジしてきました。大変なこともたくさんあり、結果会社員に復職する形となりましたが、先日の転職ではご縁あってなんと新卒時の2倍の月収にてオファーをいただくことが出来ました。これもひとえに、縁に恵まれたことと、私を信じてやりたいことをやらせてくれた周囲のサポートのお陰だと改めて感じています。

ちょうど4月で社会人6年目を迎えたということもあり、これまで私がやってきたこと・意識してきたことについて、改めて振り返りながら整理していきたいと思います。今回は中編として、がむしゃらに挑戦し続けたフリーランス時代についてお話しします。

▼前編についてはこちらから

念願のフリーランスへ:若さと勢いで独立したものの仕事がない!

競合は人生の大先輩ばかり。ツアーにアサインされることの難しさ

さて、前編で大手旅行代理店を半年で休職し、悩んだ末に1年で退職してフリーの通訳案内士として挑戦するとを決断したまではお話ししました。

若さと勢いもあり、「まずはやってみる」精神での意思決定だったものの、資格だけがある状態でそもそも実績がゼロという状態。まずは横のつながり作りと案件獲得のため、下記2つを行いました。

駆け出しガイドでとった行動

・旅行会社に登録:訪日外国人向けに、ツアーや体験教室を開催している旅行会社・団体にガイドとして登録

・ガイド研修に参加:通訳ガイドを対象に研修・派遣をおこなっているガイド団体の研修に参加

一社では心もとないので、複数の組織に登録・ガイド研修に参加。行動してみて思ったのは、通訳案内士の年齢層の高さと、ツアーにアサインされることの難しさ。それもそのはず、元駐在員の方などが退職後のセカンドキャリアとしてガイドを目指すパターンがとても多かったのです。合格後の登録会場に出向いてみると、皆白髪混じりの頭。平均年齢60〜65歳といったところでしょうか、30〜40代ではまだ若い方、20代ともなると100人ほどの会場に私たった一人というような形でした。

となると、人生経験豊富な大先輩方に勝ち、ガイドとして旅行会社から選んでもらう=ツアーにアサインされるのは至難の業。逆に若さを逆手に取り、前面に打ち出して戦おうとしましたが、アサインする側も「人」でありこちらの足元を見ています。「こんな若い子が、なぜフリーランスのガイドに?実務経験もなければ、人生経験もない。確かに資格はあるけれど..」おそらくこんな気持ちだったはず。登録料を払えど、一向にツアーにアサインされないというもどかしい状況が続きました。

なんとかアサインされるも、実務経験不足で惨敗

また、一度アサインいただいたことがありましたが、何しろ実務経験がないのでほぼぶっつけ本番。しかも人手不足のため、初っ端からたった一人で添乗させるという恐ろしい内容。研修で知り合いになったガイド仲間(というか人生の大先輩)に聞きまくり、なんとか当日を迎えたものの結果は惨敗。集合時刻の知らせ方や場の盛り上げ方、事前情報なしの当日フリープランでどこを案内すべきか全くわからず、ひたすら苦痛の時間となってしまいました.. その後報酬はお支払いいただけたものの、二度とアサインされることはありませんでした。涙

通訳士法が改正した今となっては、資格取得後のフォロー体制が充実しており、実務研修なども盛り込まれ安心してキャリアをスタートできるようになったようですが。私がガイドを始めた2018年当初は、そのようなプログラムはほとんどなく、私同様に多くの駆け出しガイドが苦戦していたようでした。

「なかったら作ってしまおう」ただでは転ばない

ガイド1本で食べていく難しさを、独立1ヶ月で早々に悟った私は、次の行動に出ました。

①Rice Work(ライスワーク、固定収入源)を探す

②ない仕事を作る

それぞれ詳しく次項で解説します。

Rice Work(ライスワーク、固定収入源)を探す

フリーランスの通訳案内士という職業は、収入の入り方でいうとスポット収入。これが、バンバン毎日のようにオファーが入るほど高稼働できれば良いのですが、多くのガイドは年間180日も稼働していないという実態がありました。

私自身も案件獲得(ツアーアサイン)の難しさを痛感し始めており、「このままではまずい、貯金を食い潰してしまう」と、ぼちぼち仕事探しをし始めるようになりました。ただ、せっかく頑張って取得したガイド業を諦めることはしたくなかったので、あくまで軸足はガイドに置きつつ、最低限の生活費を稼げる仕事で。学生時代にゲストハウスで働いていたこともあり、当時の知り合いも頼ったりしてなんとか生きる道を模索していました。

ちょうどその頃、別の知り合いから営業事務の人手が足りないと業務委託でオファーを受け、トライアルでも良いからということで承諾。最初は時給制だったのですが、職場の人に気に入ってもらい週3・9時17時で月給21万という好条件でオファーをいただき、ありがたく受けることにしました。こうして、なんとか食いっぱぐれることなく固定収入が入るようになりました。

Life Work(ライフワーク):ない仕事を作る

一方で、ガイドももちろん諦めていません。ガイド組織からツアーアサインの望みが薄いことが分かったので、こうなったらもう自分で実績を作ってしまおうと。

当時、大ファンのみうらじゅんさん執筆の『「ない仕事」の作り方』を熟読していたこともあり、まずはやってみようということでトライアルツアーを企画・催行。学生の頃にもよく使っていたmeetupというコミュニティ立ち上げプラットフォームでグループを設立し、まずは腕試しの無料でイベント実施してみたところ、なんと初回から7人の参加者(在日外国人含め)が集まるに至ったのです。

年齢や国籍もさまざま。日本の大学院でプログラミングを勉強中のチェコ人や、貿易会社社長のアメリカ人、日本の知り合いを作りたいインド人夫婦など個性豊かなメンバーが集まり、結果なんとか形になって喜んでもらうことができました。

これに味をしめた私は、自分でもどんどんオリジナルツアーを企画し、月イチペースで在日外国人を対象に実施→フィードバックをもらってアップデート→Airbnbなどで実際に訪日外国人にも販売するという流れでPDCAを実行。自分でゼロから考えて形にしたツアーが初めて売れた時、お客さんから対価としてお金をもらえた時は、言葉では言い表せないほど大きな喜びに溢れ、本当に心の底から感動しました。

ガイド+ライター&ショップ店員でフルタイムのパラレルワーカーに

Rice Work:営業事務からライターに転向

こうしてガイドと営業事務の二足のわらじ生活が始まったわけですが、営業事務の方では人の入れ替わりが激しく、当初聞いていた職務範囲よりもだいぶ広がり営業もかじるように。勤務日増加の打診もあり、「このままではどちらが本職かわからなくなる」と危惧。将来の海外移住実現のためにwebスキルも磨いておきたかったので、給与が半減(月給10万の固定制)になりましたが、ちょうどメディア立ち上げの話が上がるタイミングでライターに転向しました。

転向当初はライター未経験だったのですが、以前から周囲にライティングスキルを褒められていたこともあり、まずはやってみようと挑戦。SEOの知識は、クラウドソーシングで無料案件(報酬ゼロの代わりに、SEOライターとして案件が獲得できるようになるまで無料で添削してくれるというもの)を見つけ、走りながら自力で身につけました。

▼HSPにライターがおすすめな理由についてはこちらから

Like Work:好きが高じてインテリアショップ店員にも挑戦

このようにライターとしてメディア運営の経験を積んでいったのですが、外注費削減の話が持ち上がり月額制から時給制に。ガイドとライターだけではやっていくのが難しくなったので、もう1つ別の柱を模索。ライター枠で案件を探してもよかったのですが、どうせなら別の業界も経験してみたいと、子供の頃から好きだったインテリア業界で、まずはアルバイトのショップ店員としてjoinすることに。

配属店舗はたまたま植物・ドライフラワーにも力を入れている店舗だったのですが、私がそれまで趣味の域を出なかった植物・フラワーアレンジの知識について非常に評価いただき。入社して最初に任された仕事はドライフラワーのスワッグ制作だったのですが、なんと制作し陳列する側から飛ぶように売れたのです。

インテリアの知識はそこまで深くなかったものの、一人のクリエイター?としてプロダクトアウトで作った自分の制作物・アートをお金を出して買ってもらえたというのは、大きな自信に。その後も、植物の知識を武器に主にグリーン・インテリア雑貨販売を強みとし、店舗の売上に貢献することができました。

Life Work:オリジナルツアーは継続しながら実績を積む

こうして、ガイド・ライター・インテリアショップ店員と、三足のわらじ生活がスタート。もちろん、ガイド業も引き続き注力していました。

その頃には、新しいツアーの企画というよりは、訪日外国人から予約の入った既存ツアーを回すという方が比重を占めるように。訪日外国人のニーズに特化したツアーも徐々に増え、高評価のレビューも少しずつ溜まっていくようになりました。

それを見たツアープラットフォーム側からも評価いただけるようになり、国際女性デーとのタイアップ企画においては、なんと日本を代表する女性ホスト・ガイドの一人に選出。これまでの努力が報われた瞬間であり、「正しい方向に、正しい方法でアプローチすれば、必ず結果はついてくる」という信念が間違っていなかったことを強く実感しました。

コロナで全てが白紙に。契約切りが重なりフリーランス継続を断念

三足のわらじ生活はなかなか大変でしたが、やっとそれぞれが軌道に乗るようになり、上手く回せるようになってきたちょうどその時。新型コロナウイルスが起こったのです。

ガイド業はもちろん、仕事がゼロに。ライター業は複数企業から掛け持ちで案件を受けていたのですが、やはりどこも外注費コストカットであれよあれよという間に契約切り・役職降格に。当時は訪日インバウンドメディアの編集者枠が大きな比重を占めていたのですが、ライターへ降格と同時に給与が1/4に。インテリアショップも長期休業を余儀なくされ、結果それが決定打として響く形となり閉店することに。

コロナ勃発から半年間はなんとか食いつなぐことができたのですが、度重なる契約切りにさすがにメンタルも限界に達し、正社員への復職を決意。業界は悩んだのですが、インテリアショップという実店舗での販売を長らく経験し、これからの時代は間違いなくOMO(Online Merges with Offline)が加速するというのを痛感していたのでEC業界を主軸に。また、当時ECはコロナが追い風となりどこも好調というのもありました。EC兼Webメディア運営も手掛ける企業から無事内定をいただき、フリーランス時代はこうして一時幕を閉じることとなりました。

【後編】ではベンチャー企業での奮闘をお伝えします!

いかがでしたか?フリーランス時代の壮絶な過去について赤裸々にお伝えしました。笑

フリーランスというと人聞きは良いですが、実際はそんな甘いものではなく、不確実性への柔軟な対応力と責任感、孤独に打ち勝つ精神力が必要不可欠です。

▼フリーランスのメリット・デメリットについてはこちらから

正直、全ての方におすすめできる働き方ではありませんが、この壮絶な過去のおかげでメンタルが鍛えられたのは事実。貴重な人生経験を積むことができました。今でも時々ふと思います、「あの時コロナが来ていなければ、今とは全く違う人生になっていたのかな」と。将来また機会があれば独立したいと思いますが、もう少し自分に確かなスキルセットをつけてからにしようと思っています。

フリーランスというキャリアについて少しでも考えている方にとって、少しでも参考になる部分があれば幸いです。

▼フリーランスから会社員に復職した後のキャリアについてはこちら

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